顯 國 神 社 の 文 化 財 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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和 歌 山 県 指 定 文 化 財 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
区 分 | 名 称 | 指定年月日 | 指定番号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
①記念物(史跡) | 久米崎王子跡 | 昭和34年1月8日 | 記第110号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九十九王子の一つで紀勢本線の線路を東に越えたところが久米崎王子の跡地である。 建仁元年(1201年)10月10日条に登場し、参詣道より離れた場所にあったため、路傍の木に向かって拝したと記され、承元4年(1210 年)4月26日条にも「久米崎」なる王子があったとされる。しかし、その後荒廃したものと見られ、嘉禎2年(1236年)7月24日付で鎌倉幕府は湯浅太郎に修復の命令を出しており、そのなかで「紀伊国湯浅庄久米崎王子社、破壊跡無云々」と述べられている。関東御教書ほか、近世になってからも紀州藩主徳川頼宣も跡地に小社を造営して復興につとめた。 1907年(明治40年)、近隣の顕国神社に合祀された。 |
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区 分 | 名 称 | 指定年月日 | 指定番号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
②民俗文化財 (無形民俗文化財) |
顯國神社三面獅子舞 | 平成21年3月17日 | 無民第77号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
獅子舞は唐から伝わり、舞楽として演ぜられたが、後世には太神楽等で五穀豊穣、悪魔祓いの祈願として舞うようになったものである。 顯國神社においては享保11年(西暦1726年)から家内安全・商売繁栄・健康祈願等の意味で、若宮祭(夏祭)と例祭(秋祭)で行われている。祭に必要な神楽であるため、昭和51年、氏子総代会が中心となって正式に三面保存会を発足し、その後途絶えることのなく引き継がれ、現在においても数十人の青年が活動する。 |
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顯國神社三面保存会(平成26年10月18日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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