顯 國 神 社 の 三 面 獅 子 |
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顯 國 神 社 三 面 保 存 会 の 経 緯 | ||
顯國神社の三面獅子の由来は定かでないが、紀伊国名所図会(嘉永4年〔1851〕)の『湯浅祭礼神輿渡御の図』に三面獅子の姿が描かれ、また、以前は『享保十一年〔1726〕諏訪大明神』の銘が入った獅子頭を使用していたことなどから、古くから神事として執り行われていたと思われる。かつては、北王城と南王城の青年達が年交代で三面獅子を務めていた。 王城とは、熊野街道東側の町場を指し、北王城と南王城はこの界隈で祭礼の時に括られていた地域の名称である。しかし、時代の流れによって徐々に伝統神事の継承が困難となり、昭和53年に「顯國神社三面保存会」が発足されるに至った。現在では20名を超える会員の活動により今日まで受け継がれている。 舞う時期は、若宮祭(夏祭7月18日)と例祭(秋祭10月18日)の当日と宵宮祭であり、五穀豊穣、商売繁栄、病気平癒、健康祈願等の願いを込めて奉納する。 オニ1人、ワニ1人、獅子2人、太鼓1人、世話人5人程度の熟練した青年達を要し、祭が近づくと神社で練習と準備が行われる。オニは鼻が高く、ワニは牙がある方で、それぞれ面をかぶって、袴姿で草鞋を履き、左手に鈴のついた鉾をかついで、右手に紙垂を持って動作する。神前式終了後と渡御途中と御旅所での祝詞奏上後に獅子退治の舞を披露し、渡御では、神輿の先導を行い、祓い清める役割をもっている。 顯國神社の三面獅子は、オニ、ワニ、獅子が一つの締太鼓に合わせ動作する。オニは鼻が高く、ワニは牙がある。いずれも鳥兜に袴装束で草履を履き、左手に鈴の付いた鉾を担ぎ右手には紙垂(しで)を持つ。獅子は二人立ちで、木を削り出して作られた獅子頭は約10キログラムもの重量がある。 三面獅子の舞いは締太鼓の早打ちを合図に始まる。すぐに重々しい調子に変わると、オニ、ワニは、紙垂を祓うように振り、踊りながら筵の上まで獅子を誘う。獅子は進みながら、時折オニが持つ鉾の鈴を狙って咬み付く動きを見せる。筵に着いた獅子の鼻先にオニが鉾を突き立てると途端に獅子は怒り、縦横無尽に暴れ狂う。その間もワニは周囲を踊り続け、オニは鉾を突き立てた姿勢を崩さず獅子と対峙する。やがて獅子は静まり、オニの鉾先に顎を乗せて恭順の姿勢を示す。ついには寝てしまった獅子の頭をオニが紙垂で叩いて起こし、最後は紙垂を回しながらオニ、獅子、ワニの順に並んで駆け去ってゆく。 この舞いが披露されるのは、毎年7月18日の若宮祭本宮とその宵宮、10月18日の例祭の本宮、そして大晦日の夜、年が明けた直後である。祭礼時は神前式の後と渡御の道中においても披露される。また、三面獅子が現れると、氏子たちが『鈴を頂く』光景が見られる。これは、オニ、ワニが持つ鉾に付いた鈴を頭上で振り鳴らしてもらい、あるいは獅子が頭上で咬み付かんばかりに大きな口を開け、頭(かしら)に付いている鈴を振り鳴らすことでお得を頂く風習である。 顯國神社の三面獅子は、暴れ狂う魔物である獅子をオニとワニが退治するもので、五穀豊穣、商売繁盛、無病息災の願いを込めて踊られる。祭礼には欠かすことの出来ない伝統的な神事であり、氏子である町民に永く親しまれ、敬われてきた。これからも氏神の使いとして御神得を与える役割を担いつつ、三面獅子は伝承されてゆく。 |
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【若宮祭宵宮】毎年7月17日 午後8時30分~ 顯國神社若宮社 【若宮祭本宮】毎年7月18日 午後2時30分~ 渡御において各所 中川板金前(大宮通) 小野田薬局前(西南道) 午後4時30分~ 御旅所(南恵比須神社) 【例祭】10月18日以降の直近の日曜日 午後1時~ 顯國神社 午後1時30分~ 渡御において各所 中川板金前(大宮通) 小野田薬局前(西南道) 御蔵町交差点 午後4時~ 御旅所(なぎ公園) |
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顯國神社三面保存会の年次別活動状況 | ||
享保11年 | 湯浅町本町に鎮座された諏訪神社(現在は顯國神社内に合祀)を崇敬する北王城(現在の北道)、南王城(現在の南栄、本町、東南道、西南道)が隔年交替で獅子舞を各地区で奉納する。 ※北王城、南王城とは、組馬の地名である。 嘉永4年(西暦1851年)湯浅祭礼神輿渡御の図『紀伊国名所図会 後編』(1751-1823)江戸時代後期に和歌山城下の書肆・帯屋伊兵衛(高市志友)によって企画された紀伊国全体に関する地誌で、紀伊藩領だけでなく高野山寺領についても掲載する。初編と二編(高市志友編)は文化9年(1812)、三編(加納諸平編)は天保9年(1838)、後編(加納諸平・神野易興編)は嘉永4年(1851)に、それぞれ刊行されている。『紀伊続風土記』とならび、江戸時代後期の紀州に関する基本的文献の一つに数えられる。 左画像は、一部を拡大したもので、当時から獅子舞いが盛んだったことが伺える。 |
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昭和38年 | 北、南王城に北栄精華青年団が加わり、3交替で獅子舞を奉納する。 | |
昭和46年 | 南王城、北栄精華青年団に宮西区青年団が加わり、3交替で獅子舞を奉納する。 |
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昭和49年 | 宮西区青年団が中心になり、獅子舞を奉納する。 | |
昭和52年 | 青木青年団が獅子舞を奉納する。 | |
昭和53年 | 正式に三面保存会を発足する。 | |
平成10年 | 湯浅町指定文化財(無形民俗文化財)に指定される。 | |
平成11年 | 南紀熊野体験博(那智勝浦シンボルパーク)民族芸能に参加する。 | |
平成13年 | 本年から平成23年まで「湯浅まつり花火大会」に参加する。 |
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本年から平成22年まで「ゆあさの鯖っと鯵まつり」に参加する。 |
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平成18年 | ダイワロイネットホテル和歌山において国際交流会に参加する。 | |
平成19年 | 開設57周年記念競輪和歌山グランプリGⅢ「新春わかちゃん祭り」に参加する。 和歌山県から依頼され、1月8日午前10時30分のレース開催前に獅子舞を披露する。当日は、和歌山テレビ、CS放送などが放送し、顯國神社の獅子舞で湯浅町無形文化財に指定されているなどを紹介され、観客から大きな歓声が沸き上がった。 |
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10月28日町直営温泉「かなや明恵峡温泉開業5周年記念イベント」獅子舞フェスティバルin有田川に参加する。(午後5時から出場) |
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平成20年 | 10月26日「有田川町おしゃるき祭り」に参加する。 | |
2月15日和歌山県・和歌山県文化振興財団主催による「第三回和歌山県民族芸能祭」に出場する。(和歌山県民文化会館大ホール 午後1時開演) |
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平成21年 | 3月17日付けで和歌山県指定無形民俗文化財に指定される。 〔毎日新聞平成21年4月23日朝刊より〕 |
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平成29年 | 4月28日付けで日本遺産構成文化財に認定される。 | |